2022年2月6日日曜日

JAZZ友

 JAZZにはまったきっかけは、中学生の時近所に住んでられた故阿原道正さんが貸してくれた「ベニーグッドマン物語」のレコード。そしてモダンジャズ、セロニアス・モンクにはまったのは高校生一年生の時見た1958年Newport Jazz Festival の映画「JAZZ ON A SUMMER'S DAY」を見てである。

なお、この時の映画は二本立てで同時に「黒いオルフェ」が上映され、日本に初めてボサノバが流れた。

その頃近所に住む電気・ラジオの友人木崎しょうぞう君もJazzも聴きだしていて、私は彼に「ジャズはダンモや」と言ったらしい。木崎君(現在音信不通)の向かいに藤尾家があって、男兄弟の二人が伏見高校の出身でジャズ・ミュージシャンであった。お兄さんがピアニストで東京ユニオンに一時在籍、私より一歳上のまさみさんはトロンボーン奏者であった。藤尾家には出入りしていなかったが、感じの良いご両親を時々見かけた。お父さんは会社員ではあったが、バイオリンを嗜む人でおしゃれな感じ。お母さんも当時息子をジャズ・ミュージシャンに育てたくらいなので、感じの良い人だった。

阿原さんのおかげでクラリネットにも親しむようになったのであるが、小学生から中学生にかけて仲よくしていただいた電気工事をされていた寺元隆さんが貸してくれた、鈴木章次のレコード、エアメイル・スペシャルもよく聴きいた。

伏見高校(現伏見工業高校)のブラスバンドは結構有名で、スイングジャズも演奏できた。ある夏のこと、野球部の予選の応援でジャズを演奏したところ、京都の高野連?から高校生らしい演奏をしろというクレームがあったらしい。当時のブラスバンドは私が京都外大のブラスバンドを手伝ったときも戦勝国・アメリカの軍楽隊の曲を敗戦国が演奏していたのである。もし、伏見高校に進学して藤尾家に出入りしていたら間違いなくナイトクラブの太鼓叩きになっていたと思う。でも、ドラムに出会ったのは高校生になってからですから・・・・

小中学校、特に三年生の時友達が石原裕次郎や映画のことを話していたが興味が全く無く、音楽のことも話すことも無かった。が、そのずっと前に寺元さんに連れられて、ワゴンマスターと小坂一也のステージを見ていた。彼はエルビスプレスリーの曲を日本語で歌っていて、若い女性に騒がれた最初のアイドルであった。

趣味が広がったのは高校生になってからである。高校一年生の時には中学校のブラスバンドでトランペットを吹いていた故竹越直樹君がクラスメイトで、コーラス部でも一緒だったので仲良くなった。その頃彼は親戚の叔母さんにピアノを習いだしていたが、ジャズの話をした覚えはあまり無い。クリス・コナーとホレス・シルバーが京都でコンサートを開いて、ジャズの生を初めて聴いた。その時会場でクラスメイトであった、木村君に出会った。多分それから親しくなったが、彼とジャズの話をした覚えもあまり無い。お母さんが京都三条河原町を西へ入ったところに、ブティック・モンを経営されていたが、今は無くなっているらしく彼の近況を知る手がかりが無い。

二年生になって、竹越君や木村君とは別のクラスになったが、新たに故田口ひろき君とクラスメイトになってジャズ友になった。彼にはジャズが好きの兄がいてアンプや大きなスピーカーボックスももっていた。当時私が持っていなかった人気のマイルス・デビスやMJQのレコードを聴かせてもらった。田口君の誘いでアメリカ文化センターで月一で開かれていたジャズレコードを聴く会(レコード・コンサート)に行くようになり、三条京阪駅前にあったナイトクラブ・ベラミにヘレンメリル(ピアノ八木正夫)を聴きにも行った。もちろん夜のことではなく、ジャズ愛好団体が主催をして入場無料、但し会員になって初回の会費を払ったがその後何のお知らせも無く会の交流は無かった。田口君の誘いでいろんなところにいったが、1964年の円山公園野外音楽場でのジャズライブにも出かけた。まだ小遣いに制限があったので、いい席を取ることができなかったが、途中で夕立がきて空いた前の席に移動できた。

三年生のいつだったか、再びクラスメイトになった木村君がクラリネットを持って家に来た。結構上手に吹いて聴かせてくれたので、早速竹越君に声をかけて高校生最後の学祭でジャズを演奏した。多分週一で練習したと思うが竹越君とは外大のブラスバンドの練習でもしばらく一緒だった。

大学生になってからのことであるが、高校二年生のクラスメイトであった小笠原君が車で通りかかって「福田君が聴けと言ったジャズを聴いているよ」と言ってくれたが、大学生の頃とか卒業してからもそのようなこと言っていたらしく、ジャズを聴いているよという友達や後輩に出会った。

高校を卒業して、しばらくお茶の水の美術学校・画塾に通っていたが、昼間有楽町の「不二家」で ジャズ演奏を時々楽しみました。猪俣猛とウエストライナーズの出演をよく聴きに行った。

残念ながら、田口君は私が大学を卒業する前、竹越君はしばらく連絡がつかなくて京都外大同窓会から連絡をしてもらったが、その次の年か65歳くらいで亡くなってしまった。阿原さんも2,3年前に亡くなった。

ジャズではないのですが、はじめて故小泉文夫監修のアラブの民族音楽レコードを聴かせてくれたのが、大阪芸大建築学科の故小林康成先生で、それからNHKFMで放送されていた小泉文夫「世界の民族音楽」を毎週録音して聴くようになった。卒業ゼミの工芸デザインの故田島信先生はJコルトレーンが亡くなったのをおしえてくれました。

今思えば、ジャズとオーディオも関係が深かった。

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