2021年12月13日月曜日

JAZZに親しむ

 はじめてジャズを意識したのは中学生のときである。近所の親しくしていただいていた故阿原道正さんが、私がレコードプレィヤーを手に入れたのを見て貸してくれたベニー・グッドマン物語のレコード。キャピトル盤、スタジオレコーディングのレコード。1曲目、レッツダンスの1発目の音にノックダウンされた。

後々同じレコードを手に入れて毎日毎日かけていた。中学最終学年の春休みに真空管アンプを組み立てて本格的に音楽にのめり込むことになったが、レコード プレィヤーを手に入れた前後関係が明らかではないのだが、誰もが通る電気マニアの分岐点。アマチュア無線機に進むか音楽オーディオに進むか。

それまで、特に小学生の頃にはラジオで洋楽番組はほとんどなかった。ある日偶然に探し当てたS盤アワーが唯一の音源で、毎週帆足真理子の声を楽しみにしていた。故帆足真理子さんは我が国初のDJ、ラテン歌手であったためペレス・プラードやザビアーク・ガート等を紹介し日本でのラテン音楽ブームに火を付けた人だったが、番組内では時折スイングジャズも流れていたのでそのころにはグレン・グレー、カサロマオーケストラ等の名前を知っていた。

S盤アワーの土壌があったので、ジャズを受け入れることができたのであるが、モダンジャズ・Tモンクを知ったのは高校入学1年生である。赤いハンカチを胸に挿したキザななヤツが隣のクラスにいたのであるが、ある日彼が後ろの出入り口からまっすぐ私の所に来て、「映画部ですがチケットを買って下さい」。前売り券であるがタイトルが「真夏の夜のジャズ」であったので速購入、そこには前年1988年に開催されたニューポート・ジャズフェスのもようが綺麗な画像で紹介され、ブルーモンクを演奏したTモンクが気に入ってモダンジャズを知った。キザなヤツの名は歌舞伎の家柄「片岡」であるというのをクラスメイトに教えられたが、なんと現在の片岡仁左衛門さんである。

それからは、高校の帰り道にあった京都河原町通りのレコード店巡りが楽しみになって、なけなしの小遣いでバーゲンセールのレコードをあさった。ジャズ友もできて他のミュージシャンも知り、 いつの頃なのか四条木屋町にあったジャズ喫茶ダウンビートに出入り、後にできたブルー・ノートにも出入りするようになった。が、大学が大阪だったのでバンビや他梅田のジャズ喫茶にも行ったが、阪急東通り商店街周辺のレコード屋にも通った。

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