2022年1月20日木曜日

楽器との出会い

 故阿原道正さんは、当時京都府立医科大学の学生でオーケストラ部ホルン奏者でした。夏休みに誰も使っていない楽器があるので休み中使って良いとトローンボーンを貸してくれました。それが楽器を手にした初めての経験で、不思議なことにそれをきっかけにほとんどの楽器の名前を覚えてオーケストラで今音が出ている楽器もわかるようになりました。

高等学校に入ってブラスバンドに入りたかったのですが、新設の学校であったためか部がありませんでした。 2年生になってブラスバンドを立ち上げる準備の集合がかかって集まってはみたものの、中古楽器がいくつかならべられているだけで立ち消えになりました。しかし、そこにいたトロ−ンボーンの先輩がリズム感覚を養うためにドラムのバチを買ってきて机を叩け、というアドバイスをくれました。当時ドラムのバチは¥100ほどであったので休み時間にも机を叩いていたのですが、レコードにあわせて自分のベットの鉄枠をシンバル代わりに叩いてそれが楽しくなってドラムに興味を持つようになりました。

3年生になって、1年生の時のクラスメイトであった木村さん(多摩美に進学、グラフィックデザイナーになったはず)がクラリネットを持って我が家に来て吹いて聴かせてくれました。良い感じだったのでやはり1年生のクラスメイトであった竹越さんに声おをかけて最後の学祭でJAZZバンドを結成して演奏。

竹越さんは中学校時からブラスバンドでトランペットを吹いていたのですが、当時は本格的にJAZZピアノへの道を進んでいました。が、京都外大のブラスバンド部の面倒を見ていて初めての舞台を目指して特訓中でした。もう一人のテナーサックス奏者の木村さんと高校三年生が大学三年生の面倒を見ていたのです。この二人は後々京都外大に進学、JAZZ専門の部活を立ち上げて活躍。竹越さんはトリオを引き連れて大学対抗バンド合戦JAZZ部門最優秀賞を取りました。その時の総合一位はやはり京都外大軽音楽部ラテントリオでした。

京外大ブラスバンドの練習を見に行ったときのことですが、小太鼓が居ないので「お前ちょっと叩け」ということで参加することになって、外大のブラスバンドの初舞台にも参加しました。そこでのできごとですが、ドラムのバチの合図で曲が始まるように練習を重ねてきたのですが、1曲目に誰も音が出ませんでした。一瞬私もどうすることもできないし団長にもにらまれるし、こまっていたところ竹越さんが前に出て指揮をして無事始まりました。後そのことを竹越さんに話したら「ようあることや」と平然としていたのを見て彼のすごさを感じました。

ということで、高校生の時にドラムスのはまり初舞台は京外大のブラスバンド、そしてJAZZバンドでは当時の祇園会館(現吉本花月?)でのピアノ、テナーサックス、クラリネット、ドラムスのカルテット。


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